金沢の伝統の味「笹寿司」の芝寿しオフィシャルホームページです。

芝寿し物語

Shibazushi Story

お弁当 パッケージ

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芝寿しの歴史と共にあるのが、パッケージです。寿司を作ったら、販売するために入れ物が必要です、その入れ物を創業より作り続けていただいている包装パッケージ業者様の吉村包装様をご紹介させていただきます。

 

故創業者 梶谷 忠司からのお取引先様の吉村包装様。吉村包装会長の奥様よりお話を伺いました。

創業者のことをマスターと呼んでいたそうです。昭和30年代のこと 時代背景としては、よく働いた時代です。

 

今の「働き方改革」など、微塵もない時代です当時 芝寿しのお店は片町(現在はきらら)、私どものお店も道を挟んで向かい側の片町ということもありよく子供をオンブして着物を着て、大風呂敷にお弁当の容器をたくさん包んで運んでいたものです。奥様の芝寿しへの思い出を語っていただきました。

 

 ある時、マスター「君はやな~、そんな着物着て仕事ができるか?」とご指摘を受けたことがありました。着物を着てたくさんのパッケージを包んで風呂敷で運んでくる姿を見て、難儀やな~と思われたのでしょう。しかし、私は嫁の立場として、お姑さんにこのことを伝えられずに変わらず着物を着てパッケージを配達をしていました。

 

また、配達したときに、マスターにお叱りを受けました。家の人へ俺から洋服にして配達しなさいと言われた、と帰って言いなさいと。会社へ戻ってお姑さんにその通り言ったら、「なら洋服にしまし」と言われて嬉しかったことが大変懐かしく思い出せれます。

 マスターからよく、同じものばかり持ってきても商売にならんだろう!もっと変わったもの提案してほしいと話しをいただきました。その話を受けて吉村会長は日本全国回って新しいパッケージを探していました。

 

この当時のパッケージは木でした、留め金は金属で留めていたものでした。サンプルを作るのも結構大変でしたね。

 

 梶谷忠司が、押寿司と折箱について語った語録があります。「テイクアウトの寿司が売れるということは折箱というか容器というか、何かに入れなければなりませんから、お互いにどんどん加速度的に忙しくなると思います。ただ、十年前も五年前も、今も同じことをやっていては世の中のニーズにはついていけません。今は押すしを入れるという実用的な目的だけでは、お客様は喜びません。その人の服装に合う、その会場に合う、環境に合うようなムードのある寿司をつくらないといけないし、面白い容器を作らなければいけません・・・(略)」と語っております。

 

 

 この言葉を物語るように奥様は話しをされます。「マスターは美術学校出身だったので、箱の上に貼るデザインをよく考えていらしゃいましたし、掛け紙などもマスターが考えて作っていたと聞いています。なかなかなオリジナルのパッケージを考えていましたね。」と。

 

芝寿しさんもだんだん忙しくなってきておりまして、配達の頻度もどんどん増加していきました。大風呂敷にパッケージ箱を入れて一日に何回も配達していました。主人、弟、私も含め配達していたし、夜中でも何回も運びました配達したら、マスターは「よう来た、よう来た」とよく褒めてくれたものです。

 

最初は今も扱っている商品「芝寿し」(社名そのもの)でしたが、時に配達の他には、寿司を試作したとき、味見をしてくれてと頼まれました。味見は嘘を言うことなく、本当のことを正直に言ってくれってよく言われたものでした。

 

 マスターは「経験もないワシが寿司屋を始めたが、ワシ一人でやっていくんだ」と意気込みを話されていました。マスターの美的感覚が優れていましたし、判断力、決断力がすごかったですね。

 

 あと、物を無駄にしないという感覚が鋭かったですね「もったいない」とよく言われていました。

 

 積もるお話もたくさんありましたが、吉村包装様は社歴160年という歴史を持つ加賀藩時代の前田家にも商品を納めていた(お茶の道具など)という歴史のあるお店です。

 

そんな吉村包装様が当社の発展には無くてはならないお取引様として協力支援をしていただいたからこそ、今の芝寿しがあります。

奥様はマスターが苦心して作ってきたカタログやパッケージのデザインを大事に取っておいていただいており、懐かしそうにお話をいただきました。